変わらじな 波は 越ゆとも二見潟
妹背の岩の かたき契りは
寛政12年に二見浦の絵の賛として詠まれた。
二見浦と言えば朝日だが、この構図を有名するのに一役買ったのが宣長の歌でもあります。
本居 宣長(もとおり のりなが)は、江戸時代の国学者・文献学者・言語学者・医師。名は栄貞。本姓は平氏。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵。自宅の鈴屋(すずのや)にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人(すずのやのうし)と呼ばれた。また、荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「国学の四大人」の一人とされる。伊勢松坂の豪商・小津家の出身である。