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二見興玉神社

社号標

御参拝の皆様が最初に目に入るのが第一鳥居の前にある社号標です。昭和7年(1932)11月に二見浦旅客索道株式会社・株式会社東洋空中索道製作所により御奉献されました。
この二社は神社後部にそびえる音無山の山頂に同年7月にロープウェーを制作・運営した会社です。
昭和16年(1941)に大東亜戦争が開戦され、不要不急路線と指定され、翌年、昭和17年に運営をおえた、わずか10年ほどの運営の幻のロープウェーでした。

また、書は従二位勲一等子爵入江為守によるものです。

入江為守(明治から昭和時代前期に活躍した貴族院議員・官僚・歌人。)京都の冷泉為理の三男として生まれ、後に入江為福の養子となる。
明治17年に子爵を叙爵し、明治30年に貴族院議員、後に東宮侍従長、侍従次長を経て、昭和2年に皇太后宮大夫に就任、また、その間大正4年からは御歌所長を兼任、『明治天皇御集』『昭憲皇太后御集』編集事業を完成させた。昭和天皇の侍従長を務めた入江相政は為守の三男。