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二見興玉神社

青畝石碑

大初日 二見の巌を 抱擁す

青畝は参拝し朝明けの気分は海から受ける水平線が色付いてくる。まもなく太陽の顔が現れた、海が一斉にきらめいた。同時に夫婦岩が直射されて尊厳な存在を写した。思わず二拝二拍手一拝をしている。この太陽の最高は元日の初日であろう。万象の始まりを感じるのである。と気持ちを歌にされました。

阿波野青畝(あわの せいほ、1899年(明治32年)2月10日 - 1992年(平成4年)12月22日)は奈良県出身の俳人。本名は敏雄。旧姓・橋本。原田浜人、高浜虚子に師事。昭和初期に山口誓子、高野素十、水原秋桜子ととも「ホトトギスの四S」と称された。「かつらぎ」主宰。